東京でTRPGにおける悲劇について考えてみた。

ついこないだ悲劇のシナリオをしたばかりなのですが(コンベンション)TRPGにおける悲劇ってどういう役割をするものだろう? とか考えてみたのです。
悲しみがある種の発散という働きをする場合があるのは確かなのですが、普通に行動してるとバッドエンドになる、というようなシナリオに出くわしてしまうと、「え?」と思うわけです。
バッドエンドが悪いとは言いません。
愚かな行動をした結果、あるいはダイスがあまりに悪かった場合には「しょうがないか」とも思えます。悔しいだろうけど。

でもちゃんとしたヒントなしに普通にゲームを進めていったらバッドエンドになるというのは……
ヒントを分かるようにちゃんと出してくれないと、論理的に考えて正解にたどり着けるようになっていないと、「えー」という不満が残るのです。

ちなみに私がGMした悲劇シナリオというのは、年老いた貧乏医者が数年前に行方不明になったはずの息子が帰ってきて喜んでいるのを、実は息子ではなくて邪悪な巨人なのでPCは倒すことになり、「お医者さん可哀想」という結末のシナリオでした。
悲劇ではありますがバッドエンドではありません。
そして悲劇の責任もPCにはありません。
こうすれば後味の悪いゲームにならないから、そうしたのです。

このはずくは頭を使うゲームが好きです。
戦闘でも交渉でも作戦を立てて、論理的に行動することでシナリオを進めていくタイプです。
でも霊感や直勘や第六感の類はインストールされてません。

バッドエンドでも楽しいホラーならまだしも、そうでないシステムで出くわすと……萎えてしまいます……
「次もやりたい」と思えるゲームをしたいです。
そう思いませんか?